はじめに
1990年に公開された映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、監督兼主演のケビン・コスナーが手がけた、西部劇映画の金字塔とも言える作品です。この映画は、アメリカ先住民であるスー族(平原インディアン/カナダとアメリカ北部あたり)との交流を描くことで、多くの賞賛を浴びました。しかし、一方でこの映画がどのようにインディアンを描いているかについて、ステレオタイプの視点から批判的な意見も存在します。本記事では、その点について詳しく探っていきます。
ステレオタイプの再生産
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、スー族(平原インディアン・カナダとアメリカ北部辺り)の生活や文化を描写するにあたり、いくつかのステレオタイプを再生産していると指摘されています。たとえば、映画の中でインディアンはしばしば「高潔な野蛮人」として描かれ、自然と調和し、精神的に深い存在として理想化されています。この描写は、彼らを単なる自然の一部として捉え、複雑な社会構造や個々の多様性を無視する傾向があります。
「白い救世主」コンプレックス
映画の中心的なテーマの一つに、「白い救世主」コンプレックスが見られます。主人公のジョン・ダンバー中尉(ケビン・コスナー)がスー族と交流し、彼らの生活様式を学び、最終的には彼らを助ける役割を果たすというストーリーは、美談かさえれた異文化交流でしばしば批判の対象にもなっています。このような描写は、白人がインディアンの問題を解決する救世主として登場し、インディアン自身のエージェンシーや能力を過小評価することに繋がります。https://youtu.be/AzLv7KZwy7k
文化の一元化
さらに、映画ではスー族の文化が一元的に描かれることになってしまったと言えます。例えば、スー族と一言で言いますが、このスー族はさらに内部で少なくとも4つの部族で構成されています。インディアン映画にありがちですが、異なる部族間の違いや内部の多様性がほとんど描かれず、インディアン文化が一つの均質なものとして描かれることになっています。これにより、観客はインディアン文化全体を一つの固定されたイメージで捉える危険性があります。
総括
「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は、その時代においてアメリカ先住民をより人間的に描こうとした意欲的な作品であり、多くの人々に感動を与えました。ここまで批判的な論調でこの記事を書いていますが、わたし自身この映画を見てとても感動しましたし、当初はステレオタイプの見方をしていました。しかし、ステレオタイプの再生産や「白い救世主」コンプレックス、文化の一元化といった批判的視点を持つことはとても重要です。これらの視点を理解することで、映画が描く世界の複雑さや深さをより正確に捉えることができるでしょう。これらの見方を持ちながら、北米の自然の素晴らしさやスー族インディアンの生活様式をある程度学び、映画を楽しむことはわたし達の感性を豊かにしてくれると思います。
- #ダンスウィズウルブズ
- #インディアン描写
- #ステレオタイプ
- #映画批評
- #西部劇
- #ケビンコスナー
- #アメリカ先住民
#西部劇映画
コメント